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決定的に欠けているもの-PDCAサイクル

それなりに企業に勤めた経験の持ち主ならPDCAを知らぬ者はいないはずだ。
計画->実行->結果の評価->評価を踏まえた改善->改善を組み込んだ計画->実行・・・というサイクルを延々と回していくもので、企業経営の基本。ただ、基本であることはわかっていても、えてしてPDは行われてもCAが軽視されがちであることも確か。たとえば、このシステムの開発に要するコストは1億円だが、収益向上に年間2千万寄与するので、5年で黒字転換する、とかいって計画と実行はするものの、本当に5年でコストを回収できたのか、という評価がなされず、つくりっぱなしということが結構ある。こういう怠慢は企業の業績悪化にもろに反映するので、わたしがいた会社も次第にCAを固めていった経緯がある。

このPDCAにおけるCAの欠落がもっとも酷いのが政治だ。国会ではさまざまな法案が成立する。今季おさわがせの給付金に限らない。予算が成立すればPLAN(計画)は完了であとは実行するのみだ。給付金についていえば、○○円の経済効果があるという理由で施行することになるわけだが、さて実行した後が問題なのだ。本当にそれだけの経済効果があったのかどうかCheck(評価)されるかというと100%されない。評価しないから、Action(対策、改善)もされない。要するにやりっぱなし。このようなことが普通にまかりとおるのが日本の政治である。神様じゃないのだから、効果がある施策もない施策もあって当然で、成功も失敗もあるはず。一番始末におえないのは、評価をしないから、成功したのか失敗したのかまったくわからない状態だ。「ゆとり教育」だって、あきらかに学力の低下につながっているのに(もちろん悪いことばかりかどうかはわからない)、文科省は失敗だとは認めていない。あれはあれで正しいとくる。では授業時間や内容の見直しはいったいなんなの?ということになる。
公共事業もそうだ。橋をつくってらつくりっぱなし。計画時はこれだけの採算効果があるといっていても、作ったあとほんとうにあったのか誰も検証しない。だから同じ無駄が延々と続くことになる。もちろん、公共事業がすべてコストと採算で割り切れるとは思っていない。雇用効果もあるだろうし、単純じゃないことはわかる。だからこそ、すべての要素を組み入れた評価と検証がなされるべきじゃないのか?

司法などはCAの欠落の典型だ。日本では判例から2人以上殺さないと死刑にならないというふざけた状況にあり、たとえば先般の江東区におけるOL殺害。遺体をバラバラにしてトイレから流した、というこの事実だけで極刑に値するというのが常識だと思うのだが、計画性がないとか、レイプは未遂だとか、殺人にいたるところばかりとりあげて、死者の尊厳、遺族への精神的被害は一切考慮されなかった。まあそれはさておいて、「被告は厚生の余地がある」と決まり文句が出ているわけだが、さて刑期を終えて出てきた人間が更正したかどうか、評価がされているかというとまったくされていない。これもやりっぱなしだ。更正できると判断したのだから、結果を検証するのは当然だろう。もしできなかった場合、二次被害者が出るのに。更正できたひともいるはずだから、両者の違いをきちんと検証して、裁判の判断に盛り込んでいく、つまりPDCAサイクルをまわすべきだと思うのはわたしだけじゃないはず。

まあ、とにかく行政と司法がPDだけでCAをまったく欠いている限り、政権がどうなろうが、永遠に何も変わらないと断言しておこう。

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