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金メダルをなめすぎた日本プロ野球界

星野ジャパン惨敗で、メディアやネットなどでは、星野采配を中心に、首脳陣や選手へのバッシングが凄い。なかには生きて日本へ帰ってくるな、などという書き込みも見られて、日本の民度も中国と変わらないレベルに落ちてきたと感じる次第。アキバの事件が起きるのも納得。選手団は成田に降り立つのも怖いだろう。

それはそうと、わしは星野ジャパンをバッシングする気にはなれない。もちろん余りにだらしない試合に怒り心頭に達している。だけどそれでも彼らだけを責める気にはなれない。なぜなら、片手間の準備で金メダルがとれると考えている日本野球界やメディア、野球ファンたちがどうかしてる、と思うからだ。プロ参入後金メダルとって当たり前という風潮があるが、金メダルはそんなにたやすいものではない。

優勝した韓国はペナントを中断し、長い合宿を張った。それどころか、今シーズンは国際試合の球に変え、ストラークゾーンも国際試合にあわせて選手に慣れさせた。リーグ全体のレベルは日本が上でも、オール韓国とオールジャパンなら実力的に拮抗している。そんな韓国がそこまで徹底してメダルを獲りに行っているのに、日本は10日程度の合宿。ペナントはもちろん継続で、国際試合に慣れさせるという工夫もない。そんな片手間の準備で金をとれるほど日本野球の力は突出しているか?そう思っている野球界(ファンも含めて)が傲慢なだけである。

もちろん戦術レベルで星野采配にミスが多かったのは事実だ。選手の凡ヘッドも多く、ふがいないの一言。しかし、そもそも五輪に対する準備の時点で日本に勝ち目はなかったとわたしは思うから、彼らだけを責める気にはなれない。

体制の問題はプロが参入し結果を出せなかった初回大会からずっと言われてきたことだ。それなのにせいぜい選手枠2名をはずすくらいで、何ら対策を講じてこなかった。しかも今回はWBCの教訓もあったのにまったく変わらなかった。思い出してほしい。WBCは開幕前だったから五輪より長く樹日期間がとれた。イチローのようなメジャーリーガーも参加した。その状態で、韓国に1勝2敗。運が味方してやっと優勝できたのである。それなのに、片手間の準備で五輪のメダルがとれると考えるのは、どう考えても不思議だ。これは驕りとしかいいようがない。

もちろんペナントを中断したら興行収入が減る。それはわかる。だがそうであるならば、プロは参入せずアマだけでやるか、アメリカのようにマイナー以下というように徹底するべきだろう。ペナントも追い、メダルも獲るなんて半端なことやっているから、駄目なのである。

言ってみれば、星野ジャパンは日本プロ野球界(ファンも含めて)のスケープゴート。無理とわかっていながら、金獲って当たり前とおだてられて送り出される。そして惨敗したら罵られる。星野は選手が可哀想と言ったそうで、それは別の意味だろうが、前述の意味でわたしもそう思う。

だから選手団を責める気にはなれない。おつかれさまといってやりたい。
もっとも、しばらくの間彼らは猛烈なバッシングにさらされるだろうが・・・

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やはりそうきたか?w

この数日、報道番組や新聞を読んでると「やはり誰もがそう思ったか」と思わず苦笑いしたツッコミが出ている。

すなわち、福田が五輪開会時に中国首脳と会談したときに言った言葉。
「餃子事件は<国民の関心が高いから>ちゃんと対処してほしい」

斎木アジア大洋州局長が北との実務者会議で言った言葉。
「拉致被害者の問題は<国民の関心が高いから>きちんと対処して欲しい」

太田農水大臣がTVで言った言葉。
「<消費者がやかましいから>食の安全の問題は徹底的にやっていく」

等々。

正確ではないが、<>のところだけが問題なので関係ない。
要するに、政治家、官僚にとって、拉致事件も毒餃子も産地偽装などの食の問題も、自分自身はまったく関心がない、他人事としか考えていないということがよくわかる。福田が国民目線とかふざけたことを言った時点でかなり頭にきたが、自ら本音をさらしたというべきか。こういうことは、普段から意識のなかにあるから何げに出てくる言葉であって、いわゆる失言の類には入らない。

ではもし彼らがまっとうな感覚を持っていればどう発言したか?
国民の関心が高かろうが低かろうが全然関係ない。

「餃子事件は、わが国の国民の命や健康に関わることだからちゃんと対処してほしい」
「拉致被害者の問題はわが国の国民の生命に関わる事件だからきちんと対処して欲しい」

当然こうだろう。首相にしても外務省のトップにしても、公僕として国を守る、国民の安全を守ることが自分たちの使命だという普通の認識があれば、自然にこういう発言になるはずだ。こういう風に言ったから効果があるとかないとかの問題ではない。日本政治のトップたちに、当然あるべき意識が全く欠落していることが問題なのである。ここが諸外国の首脳との決定的な違いである。
拉致にいたっては、北との約束を守って被害者を帰すべきだったという福田とか加藤のような政治家が普通に存在する、しかもかれが政界で権力を握ってる。約束?好きで行ったのなら関係ないが、被害者は誘拐されたのである。「問題」じゃない。「国家犯罪」だ。何度も書いているが、アメリカであれば特殊部隊を送り込んで即座に奪回している。たとえそれで戦争状態になっても躊躇しないだろう。なぜなら、国民の生命を他国の脅威から守るのが国の使命という、当たり前で一番重要な意識を強く持っているからだ。またそうでなくては、多民族国家のアメリカをまとめることなどできない。アメリカだけではない。先進国から後進国にいたるまで、この意識だけは世界共通のものだ。日本だけである。誘拐犯人との約束を守れ、などと信じられないような意見が公然と出てくるのは。

最初の3つの発言を聞いたときにわたしは真っ先にここに書いたような感想を抱いた。そしておそらく、同じようなことを評論家その他が書くだろうと思っていた。でやはりそのとおりになっている。どんどん、叩いてやればいい。消費者目線などになれるわけがない。国民の目線など到底無理。それができるのは民間出身の一部の議員くらいなものだろう。そうした人間には権力がないのが余りに悲しいが。

繰り返すが「失言」じゃないよ。
失言だったら、訂正してみんなすぐ忘れてしまう。
彼らの本音を示す言葉だから皆さん絶対に忘れないように^^

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五輪精神という欺瞞

北島選手金メダルおめでとう!素直に喜びたい。だが、世界選手権等々、スポーツの祭典としての五輪の意義は認めるが、平和の祭典というそもそもの五輪精神につぃてはまったくの欺瞞というべきであろう

周知のように、北京オリンピックで沸く中、すぐそばのウイグル自治区では中国の軍隊(武装警察は軍隊である)と弾圧に抗議する市民が衝突。中国はこれをテロと呼ぶが、アメリカがイスラム原理主義者をテロリストと呼ぶのと同じく、自分に都合の良い「正義」のねつ造以外の何者でもない。
また、四川大地震の被災地では今も生活すらままならぬ被災者がごまんといるにも関わらず、中国政府は五輪運営にかかりきりで放置状態だ。
さらに例によって東欧の国では内戦が起き、これまた例によってロシアが軍事介入してグルジアと完全な戦争状態に突入している。アメリカはこれに対して抗議声明を発表しているが、もとより勝手な都合でイラクを爆撃、壊滅したアメリカにそんな資格はない。そもそも冷戦時代ならグルジアの援軍に回り、代理戦争が勃発していたことだろう。ロシアはチェチェンによる無差別テロを浴びてきたが、これもそもそもロシアの悪行による自業自得であり、軍事力の差をみれば今回グルジアの負けは確定だが、将来グルジアによるテロ攻撃を浴びることは確実だ。これもまた自業自得というものだが、ロシアは「正義」をねつ造するであろう。

そんなさなか、中国政府は五輪精神に則って戦争の即時停止を訴えたが、これもまた大いなる欺瞞に満ちている。国民に自由も権利もなく軍事力をひたすら蓄えて民族を一方的に弾圧、虐殺している中国に五輪精神などという言葉を用いて他国の戦争を非難する資格はない。

冒頭でスポーツの祭典としての意義はあっても、平和の祭典という意義はなく、それを語るのは単なる欺瞞であると述べたのは、このようなバックグラウンドがあるからだ。特に今回の北京五輪は、中国の国威を世界に示すことに重きが置かれていて、これまで以上に五輪の政治的利用のにおいが鼻につく。検閲だらけで横断幕すら自由に作れない五輪など本来の精神からは遠く離れたものに映る。

メダルに沸くのは結構。わしだってうれしい。しかし、祭典の横で数知れぬ戦争と自由や人権の弾圧や虐殺が行われていることを忘れてはいけない。

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五輪など辞退しなさい

昨日のウイグル自治区でのテロ。自治区への弾圧、虐待のはねっかえりであり自業自得だから中国にはまったく同情しない。むしろこれをきっかけに中国国内がアフガンなみに混乱すれば、世界の中国に対する妄想も少しは修正されるだろう。起きるべくして起きた事件なのである。

それもよりもその場を取材した日本の記者が中国武装警察に拘留され殴る蹴るの暴行を受けたことが本日判明した。正式に取材許可を得たうえでのことである。当然、新聞社は強く抗議すると発言しているが、より強く抗議すべきは日本政府であろう。中国から真相究明、きちんとした謝罪があるまで、大使を召還するくらいの抗議行動があってしかるべきだ。何度もいうように何を置いても国民の生命と財産を守るのが国の役目だからだ。しかし町村は「強く抗議します」と淡々の述べたのみ。まあまったく期待していなかったので落胆もない。拉致被害者を北に返すべきだったなどと語った福田や加藤、山崎などが権力を握る日本政府なのだから当然の対応かw

ならば民間が抗議するしかない。わしは五輪出場を辞退するべきだと思っている。これは、今回の事件があったからというわけではない。ギョーザ事件もそうだし、所有権侵害もそうだし、チベットでの暴動もそうだし、とにかく中国のやっていることは「自由と平和」とはまったく対極にあるものだ。実際、ドイツの名君と思われるメルケル首相も英ブラウン首相も開会式には出ない。われらが愚将福田くんとかこれまたオバカなサルコジくんとか、さらにオバカなブッシュくんあたりはぞろぞろと出て行くがw

しかしわしがクビをかしげるのは日本の選手たちが、意気揚々と五輪に挑んでいることである。スポーツと政治の分離というが、ちょっと都合の良い解釈がすぎる気がする。実際、世界のトップアスリートや映画俳優などの有名人は、人権問題とか環境問題とか貧困問題とかに敏感なひとが多く、相反する国の大会には出席しなかったり、抗議文を背負って走ったり、自ら貧困地に出向いてボランティア活動をしたり、スポーツ以外に色々と活動している。彼らには単にスポーツで勝つことだけでなく、スポーツを通して世界平和や自由世界を具現しようとする熱意が感じられるのだ。

だが日本のアスリートにそんな意識は皆無にちかい。五輪でメダルをとることだけしか頭にない。こういう意識の違いが、現代世界における日本と国際社会にさまざまな分野で見られるように思う。

五輪を日本が辞退することはありえないしその必要はない。しかし選手個人は自由である。人権迫害や国家犯罪がまかりとおる中国ではプレイしたくない、そんなアスリートがひとりもいないのは、非常に残念だ。

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責任をとらない人々

最近のやつは・・・てな話ばかりで恐縮だ。わたしは昔のほうが良かったなどと安易なアナクロに染まっているわけではない。昔より今ほうが良いことのほうが圧倒的に多いだろう。だが戦前の人にあって、現代日本人(外国人はよくわからない)に希薄になっているものもたくさんある。多くは精神的なもので、日本人らしさを現すIDとも言える重要なエッセンスである。

そのひとつが「覚悟」だとわたしは思ってる。

戦前の人間には覚悟があった。自分がなすべき使命がいかに過酷であろうともじたばたせずに受け入れて全力で遂行する覚悟。リスクを冒して行動する場合に失敗したときに最悪命を賭す覚悟。善なる行動においても、悪なる行動においても、命を賭けるだけの覚悟があったように思う。

ドラマの世界を引き合いに出して恐縮だが、「篤姫」で幾島が身をひきたいと申し出るくシーンがあった。吉宗を時期将軍にできなかったことで自分を許せない、そう言うのである。吉宗が14代将軍になれなかったのは篤姫の判断によるものだが、決して他人のせいにはしない。使命を果たせなかった自分の責任だと語る。わたしはこのシーンに日本人のエッセンスを見る。潔さは覚悟と表裏一体。
乃木大将の殉死についても同様だ。もちろん諸説あるのは知っているし、いたずらに美談にするつもりはない。しかし、日本古来から武士や軍人に切腹という責任の取り方があったことは誰も否定しまい。流順攻略で多大な戦死者を出したことが無関係とは考えられず、現場の指揮官として責任をとったという解釈は自然だろう。

こういう例は珍しくない。戦前までは責任をとることは割腹自殺を意味するくらい己にとって重大なことであり、それゆえに責任を背負う覚悟があった。ひるがえって現代の日本人はどうか?

桐生第一高校の事件。高校野球出場は辞退しない。それはかまわない。しかし、校長や野球部長はいっさい責任をとらないというのはまったく理解できない。個人のやったことだから、みたいな言い方をするが、それなら監督責任を放棄しているのと同じだ。校長と野球部長は辞任し、わしらが責任をとるから無関係な部員たちは出場させてやって欲しい、それで筋を通すなら納得がいくし、当然そうすべきであろう。
続出する産地偽装とか公務員の不祥事も同様だ。担当者、担当部だけの責任のような顔をしているトップが多いが、彼らには部下の責任をすべて背負い込む覚悟がまったくないように見える。そんな人間はトップに立つ資格ゼロである。

もっとも、日本を背負って立っている自覚が皆無の総理大臣、大臣ポストをひたすら待つだけが楽しみで官僚に支配されるだけの国会議員等、日本のトップがこのていたらくだから、仕方ないかw ひと昔前なら、クーデターや暗殺事件が起きてもおかしくない不穏な情勢だが、今の日本人は牙を抜かれているので政治家が命を落とす危険はほぼゼロ。そういう意味でも戦前のリーダーとは覚悟が違うと思うのである。

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