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猫が見ている

  わたしは、大の猫好きだ。
  1時間前、深夜の1時に飲み屋からしたたか酔っぱらって帰る道筋の駐車場でまだ幼い猫と出会った。
  成猫と子猫の間にある年齢の彼、彼女は人を疑うべきか慕うべきか迷っているようで、しばし歩道で立ち止まって見つめているわたしを、どうしたものか戸惑いながら駐車場の脇に両足を揃えて様子を伺っていた。そうしたほんのひとときの止まった時間がわたしは大好きで、手をさしのべるでもなく、声をかけることもなく、猫と見つめ合ってそのまま動かずにいるのだが、結局時間に負けて車道を渡り向かい側の歩道まで歩き終えたわたしが振り返ると猫はまだそのままじっと静止したままわたしを遠くから見ている。わたしが猫を見ているのではなく、猫がわたしを見ている、そういうふうに時間は緩やかに進行していく。
  なぜ彼らはわたしのもとに簡単に来ないのか?冬場となればろくにエサもなく、冬を越せずに死ぬ確率も高い。わたしのもとに少しでも近づき、にゃあと鳴けば猫好きのわたしはそのまま連れて帰り、暖かいミルクを飲ませて食事も与えるだろう。暖房の効いた部屋で過ごし冬を安穏と越せるだろう。生命体としての寿命を全うし、それなりの贅沢な生活も手に入れることができる。しかし、彼らは来ない。野良猫がなついて離れないことはあっても決してわたしの家、わたしのテリトリーには踏み込んでこない。 
 猫にとっては本能的なものだろうが、それが彼らにとってのプライドなのかもしれない。保護者がいれば生きるのはたやすく、経済的にも困らない。しかし彼らはそういう道を選ばない。寒い夜に駐車場の軒下に暖を取って細々と生きることを選ぶ。だからといってそれが彼らにとっては不幸ではない。飼い猫よりもある意味では幸せに違いない。春が来る前にさきほど出会った黒猫は死んでいるかもしれないが、それはそれで良い人生、いや猫生だっただろう。生きることの意味は、一概にはかれない。わたしは猫を愛するがゆえに飢えに苦しんだり、寒さに凍えている野良猫をあえて救おうとは思わない。なぜなら彼らには彼らの幸せの価値観があるからだ。  
 人間も少しは野良猫を見習ったらどうだろう。まったく、素敵で愛すべき連中である。振り返れば自分が恥ずかしくなる。猫が見ているじゃないか。

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Comments

見つからなけりゃいいやというのはリスクを負ってる分許せても、法に触れないからいいや・・・など考えている輩は野良猫からみたらカス、存在も認めてもらえないでしょうね。誇りを何処に求めるか、われわれに突きつけられた命題だと思います。

Posted by: ウストロ | December 29, 2005 at 06:45 PM

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Tracked on December 29, 2005 at 06:27 AM

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